名波浩 「もう一度、ヒデとサッカーを」

あまりにも素晴らしいコメントなので、全文を無断でコピペ。ボンの下りは泣けるなあ。。。
(from masujimastadium 2006.7/4

初めてプレーをすることになったのは、97年5月21日、ヒデがA代表にデビューする韓国戦前のミニキャンプだった。アトランタ五輪のことは、うち(磐田)にはその時の守備陣が多かったから、彼らから聞いていた。Jリーグでも対戦していたので未知の選手じゃなかったけれど、ヒデが入ったとき、加茂さんに「お前、ボランチやれるか」と聞かれたんだ。「無理です」なんてその時は答えたんだけれど、その言葉で、この代表を「ヒデのチーム」でまとめていく構想なんだとわかったね。そんなことは加茂さんもピッチでいちいち言わなかったけれど、ヒデをオレがやっていたポジションに上げて、オレが下がるとは、そういうことでしょう。それをみんなが感じ取って、とにかく、井原さんや素さん(山口素弘)、そしてオレも、ヒデの言う通りにまずはやってみよう、そういう気持ちで一杯だった。

彼には協調性があったし、何か言っても、やっても、ものすごくはね返ってくるのが早くてね。確かに表現がうまくないところはあったけれど、それは選手なんてみんな同じだからね。ヒデを中盤で動かしているのはオレだ、といつも思っていたし、反対に、もしそうだとすれば、誰よりもアイツに気持ちよくプレーさせてやりたい、って必死になった時期だね。中盤には、素さんという、ヒデやオレを受け入れてくれる包容力もあった。

互いのプレースタイルに対して言い争いなんて一度もなかった。でも、こうすればもっとよくなる、と思うこと、サッカーについては、本当によく話をしたと思う。「ここに走ってきてよ」「いや、それじゃあ間に合わない」「今のボールじゃ高すぎる」「じゃあ、どのあたりを狙うんだよ」という具合にね。オレはヒデのプレーの癖、ボールのないとき左に流れていくところや、間に入ってくるときには、本当にパッと前を向こうとする、そういうのをビデオでいつも研究したんだ。ジョホールバル(97年のアジア最終予選)の1点目は、そこから生まれたプレーだったと思う。本当に、細かいことを、納得するまで、互いを思いながら積み重ねた中盤だった。今でも、あの3人でのトライアングルは、自分の頭にあるもっとも強烈なインパクトを持ったトライアングルだから。

中盤のスタイルと武器といえば、テクニックなら俊輔(中村)だろうし、イメージを実現できるMFなら伸二(小野)だと思う。ヒデにはずば抜けた状況判断力があって、それが一緒にプレーをしていて一番面白かったし、感心することだったね。玉離れの早さという武器で、攻撃にかけていく人数をポンポンと増やす、そういうタイプだった。

ヒデと、オレは志半ばになったけれど、イタリアにいた短い時間も忘れられない。あの頃は、電話でもメールでもよく話したよね。イタリアへ行くと伝えたら喜んで、絶対できると言ってくれたし、彼から電話で、ローマに移籍しそうだ、ボランチでカペッロが考えているらしいんだ、と相談してくれたこともある。ああ、ビッグクラブに行くのか、すごいな、うらやましいなと思う気持ちと、日本人として凄げえな、という思いと、いろいろと考えていたことを思い出すね。

このW杯で、ヒデと話すことができた。02年以来だったと思うね、話をしたのは。テレビ局の取材でボンに行った際、オレはスタンドで見ながら、ずっと、「オレを入れてくれ、オレにこの中盤を扱わせてくれ」って本当に思っていた。こうすればもっと機能するぞ、ってね。練習が終わって、2人でミックスゾーンの片隅で話したとき、アイツは「名波がいなくちゃさ」と言ったんだよね。忘れられない。ホント、可愛くて弟みたいなんだ、オレにとってヒデは。

決して天才じゃなかった。だけどいつも上を見て、高いところを目指そうと全力を尽くしていた姿は、みんな忘れちゃいけないサッカー界の財産だ。29歳が若いという人もいるかもしれない。でもセリエで過ごした7年なんて、普通のゲームの何倍もの肉体的疲労や精神的なプレッシャーと戦うものだったろう。

引退を明らかにしたメールの中で、「いいプレーをすればなんでもできるように書かれ、悪ければ人間そのものを否定される」と書いてある部分が、特に胸に沁みるように感じた。それはセリエAでも、プレミアでも、海外で常に重いプレッシャーを受けながらプレーした彼にしかわからないことで、ここまで本当に、山あり谷ありの長い旅を続けたんだと思う。メールを読みながら、他人にはわからない充実感があって、大きな満足感を今は味わっていると、オレは思った。悲壮感や孤独なんてまったく感じない。

最後に一緒にプレーをしたのは、たぶん、01年トルシエ監督でのスペイン遠征だったと思う。またどこかで一緒にプレーできればとずっと願ってきたから、少し残念だけれど、どんな形になっても、また一緒にプレーすることはきっとできる。いつかそんな日が来ると信じて、今は、日本で静かにこの引退を受け入れようと思う。
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by bigflag | 2006-07-08 22:40 | ・サッカー / 駄文 | Comments(0)  

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