「お兄さん、こんなに朝早くに行ったらアカンで」
友人とM君の母親、双方の事情を一通り聞き終わった後、眠そうな顔をした警官は、
21時から翌日8時までは取り立てをしてはいけないという規制(ガイドライン)があるのだと、
友人に説明した。
M君の母親はおそらくこのことを知っていたのだ。だから、すぐに警察へ行こうと言い出したの
だろうし、いま思えば、その交番までの行き方も、公園に入って近道をするなど、なんだか妙に
慣れた足取りだった。が、それよりも何よりも交番で話し合いをしていた時のことである。
尿意を催した友人が警官にトイレはどこかと尋ねたところ、警官ではなく、なぜかM君の母親が
突き当たりの右よ、と教えてくれた。親切心からなのか何なのか全く意味が分からなかったが、
友人は用を足しながらこの時に確信した。M君の家が取り立てに遭っていること。
そして、M君の母親がその取り立ての件で、この交番にお世話になっていることが一度や
二度ではないことを。
警官は友人とM君の母親、そのどちらかの味方をするということもなく、友人に対しては
「もう少し待ってあげたら」 と言い、M君の母親に対しては 「ちゃんと払ってあげなさいよ」 と言い、
話し合い中ずっと、それらの言葉尻を変えただけの同じような言葉を何度も繰り返すだけだった。
ここで話し合いを続けても、何も進展がないと悟った友人は、今日はもう時間がないので、
と言って、その場を後にした。
その帰り道、友人は閉塾することを決めた。この一件で決意したというよりも、
自分のことを棚に上げて、何でもかんでも他人 (学校・塾・父親) のせいにする傾向が
強い母親と向き合わなければならない、この塾講師という職業に割の合わなさを以前から
常々強く感じていたのだ。
もう塾を閉めるわ。その言葉を友人から聞いた時、もっと頑張れよ、という言葉は出てこなかった。
ブログのタイトルに期待を込めて入れた長征とまで行かなかったことは、残念は残念だったのだが、
始めた動機が動機だったので、よくここまで続いたなあ。という気持ちの方が強かったからだ。
浅はかな思いつきで始まった友人Sの学習塾経営は妥当と言うべきなのか、2004年3月から
2005年5月の1年3ヶ月という短い期間で、あっさりと終わったのだった。